ソワンエステティック

第2段階で患者は「生き残った私」という「サヴァイヴァー自己の獲得」をおこなった。第3段階では、これをさらに発展させて「外傷体験を受けたけれども、何とか生き残り、生き延びて、それを克服した私」というアイデンティティを獲得すべきである。これをサヴァイヴァー自己の超越と表現する。 とくにアダルトサヴァイヴァーや、その他の累積的な虐待の被害者である患者は、とうぜんの如く激しい慢性的な人間不信に陥っており、これが患者の社会生活を立ち行かなくしている一つの原因である。しかし封印していた過去を開示し、発散し、自己のなかに統合し、克服したことによって、同時にその副産物であった人間不信も消滅していく。 もちろん、人間社会にはつねに「信じられない人間」は存在するわけであるが、病的な人間不信から来る被害妄想をわずらっている患者の持っていた人間不信とは、それとは段違いのものである。それが、ふつうの健常人と同じレベルのものに軽減化されていくというわけである。 病的な人間不信の消滅は、人と親密になることを学習することでもある。よって、これを親密性の獲得という。 親密性の獲得とは、患者が人を信頼することであると同時に、患者自身が他者から信頼されるに足る人になること、すなわち信頼感を獲得することである。この両者は並行しておこなわれる。 第2段階において、「虐待などの犠牲者となった私」という「犠牲者自己の物語」は、「そういうふうに、他人とは違う外傷体験も受けたが、それを切り抜け、再生した私」という「個性的自己の物語」になっていく。 科学的実証主義の医学を標榜するエビデンスベイスド医学(Evidence Based Medicine: 略称EBM)の精神医学領域における限界を克服すべく、その対抗概念としてナラティブベイスド医学(Narrative Based Medicine: 略称NBM)として近年、注目を集めている。 方法論が厳格に規定されているわけではなく、「ナラティヴ・セラピー」という語自体、社会構成主義の一つの医学的姿勢あるいは思想的立場を指しているニュアンスも濃い。  社会構成主義とは、SEO対策 は人々のコミュニケーションの間で人材紹介 を媒介にして構成されるものであって、「客観的真実」や「本質」などというものは存在しない、という立場である。芥川龍之介が『藪の中』でテーマとしている世界観であり、ラカンのいう象徴界としての社会という考え方にも通じる。 物語という概念は、ナラティヴセラピーを考える上で鍵となるものである。私たちは過去の体験を語るとき、それは巧拙を問わず「物語」として語る。また他人の経験も「物語」として把握する。さらに人は物語」を演じることによって人生を生きているともいえる。また、古典的な精神分析などにおいては物語は解釈である。 フロイト派もユング派も、かつての精神療法は、治療者はクライエントの一段上に立っており、間違った物語に囚われている患者を、治療者が正しい物語へと導く、という進展が一般的であった。しかし、社会構成主義によれば、どのような物語になるかは平等な主体どうしの主観の持ち方、すなわち「ものの見方」の問題であり、「正しい」物語も「間違った」物語もなく、ましてやどのような主観にも依拠しない「客観的な」立場から見た解釈や物語も存在しない、ということになる。 そもそも患者のことをクライエントと呼ぶようになったこと自体、治療する者とされる者は人間として平等で対等であるという認識に基づく。よって、治療者の役割はクライエントとの対話によって新しい物語を創造することとなり、アパレル 求人 の目標は、問題を解決することではなく、新しい物語・解釈による新しい意味を発生させることによって、問題を問題でなくしてしまう、ということに置かれる。 また、治療者の持つべきスタンスも、「病めるエンジニア 転職 や社会を救いたい」という正義感ではなく、「患者を治す」といった昔ながらの「医は仁術」的な使命感でもなく、愛や親切でもなく、目の前にいるクライエントに対する好奇心である、とされる。 しかし、日本の現状では、こうした精神医療にたどりつくクライエントたちは、旧来然たる「患者」として「治療者」に「治してほしい」と欲している場合が多く、治療者の側が一方的にポストモダンな平等意識を持っても、それがクライエント側のニーズと適合していなかったり、通じなかったり、かえって「多額な費用を払ったのに、何もしてくれなかった」というような不満に結びついている実態もある。こうした実態に根ざした批判が存在する。 また、精神科医はアパレル 求人 に基づいて薬を処方し、必要なら入院を決断するという権力を持っているわけだから、いくら治療者とクライエントは転職 だと言ってみても、結局のところそれは言葉だけのもので、じっさいには欺瞞である、という批判もある。 さらに、現在のDSMやEBMのような、患者の固有性を無視した科学実証主義の行きすぎも問題ではあるが、ナラティヴセラピーのようなNBMが行きすぎると、「精神分裂病などというものは存在せず、社会がレッテルを貼っているだけだ」と主張したR.D.レインら反精神医学の過ちを繰り返してしまうのではないか、という批判もある。 19世紀後半のヨーロッパでは、ヒステリーをはじめとする神経症は、精神科ではなく内科の診断領域であった。ヒステリーの研究で有名だった神経学者であるジャン=マルタン・シャルコー(Charcot,J.M.)は、パリでヒステリー患者に催眠をかけ、ヒステリー症状が現れたり消えたりする様子を一般公開していた。 1885年、そのシャルコーのもとへ留学してきたのが、のちに精神分析を創始することになるジークムント・フロイトであった。当時のフロイトは自然科学者・神経学者であり、主にヤツメウナギの脊髄神経細胞の研究や、脳性麻痺および失語症の臨床研究を行なっていた。 1886年、フロイトはウィーンへ帰り、シャルコーのもとで学んだ催眠を用いるヒステリーの治療法を一般開業医として実践に移した。治療経験を重ねるうちに、治療技法にさまざまな改良を加え、最終的にたどりついたのが自由連想法であった。 これを毎日施すことによって患者はすべてを思い出すことができるとフロイトは考え、この治療法を精神分析(独: Psychoanalyse)と名づけた。 のちに1990年代のアメリカで起こる記憶戦争は、この時代のプロセスが下地となっている。 1895年、フロイトは、ヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果であるという病因論ならびに精神病理を発表した。今日で言う心的外傷やPTSDの概念に通じるものである。 これに基づいて彼は、ヒステリー患者が無意識に封印した内容を、身体症状として出すのではなく、思い出して言語化して表出することができれば、症状は消失する(除反応 独: Abreaktion)という治療法にたどりついた。 この治療法はお話し療法と呼ばれた。たいへん原初的で素朴な療法であるが、この時代の精神分析が必ずしも主流から外れてしまった今日の精神医学においても、ナラティブセラピーその他の方法で展開されているものである。 フロイトは自然科学者であったから、彼の目指すものはあくまでも「科学」としての精神療法であった。彼の理論の背景には、ヘルムホルツ(1819-1892)に代表される機械論的な生理学、唯物論的な科学観があった。脳神経と心の動きがすべて解明されれば、人間の無意識の存在はおろか、その働きについてもすべて実証的に説明できるようになると信じていた。それゆえに、彼は終生、宗教もしくは宗教的なものに対して峻厳な拒否を示しつづけ、その結果ユングをはじめ多くの弟子たちと袂を分かつことにもなる。 こうした原点を無視して、「精神分析は科学ではない」と早計に断じることはできない。