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再帰性が症状の本質であるがゆえに、たとえばシェルターへ移送した虐待被害者が自らの意思で暴力的な配偶者のもとへ帰ってしまう、といった問題が現場には多く、口でいうほど実践は簡単ではないが、それでも「安全な場の確保」というステップなくして療法ぜんたいは成り立たない。
したがって、再帰性に基づいて形成されているクライエントの日常行動を変えていくことが必要になる。シェルターに保護されたバタードが、自ら暴力を受ける家庭へ戻っていかないようにすること、などがその例であるが、広義には、アルコール依存症などの嗜癖行動を断ち切ることも含まれる。じっさい再帰性を示す行動様式と、嗜癖行動とのあいだには、それほどの差はない。
患者は、はじめ自分が犠牲者であることを自覚していない場合が多い。外傷再演などの再帰的な行動様式は、そういった自覚の欠如が根底にある。
もっとも「逆は必ずしも真ならず」で、自覚をしたからといってすぐ再帰的な行動様式が改まるわけではなく、そこからの治療過程の方がむしろ長いわけであるが、犠牲者自己の認知が段階的にはじめに来ることを妨げない。
自覚がないのは、主に否認によるものである。これは、キューブラー=ロスの唱えた「受容のための五段階」説にも合致するもので、もともとキューブラー=ロスは「死」という人間にとって「不都合な真実」をいかに人間が受容していくかの過程において、「そんなはずはない」という否認が第一段階に来ることに着目したが、それは何も「死」に限らず、自分の家庭のなかで虐待が行なわれていること、自分に心的外傷があること、などすべての「不都合な真実」において言えることであると、理論を汎用していったところに近年の精神医学の大きな発展がある。
外傷体験にさらされた個体が、そこからの回避を指向するようになるのは、個体保存の原則によるものであるが、これは再び再帰性の問題で、個体の心身に深く浸透している記憶が、その回避を妨げるものである。それは、われわれは「危害から回避するためには、危害を記憶しなければならない」というパラドックスを生きているからに他ならない。
このパラドックスを調停するために、われわれの心は抑圧、解離、分裂などの心的防衛の機能を忙しく使い分けている。これらはもともと、目的に合致した機能であるはずだが、いっぽうではわれわれを外傷体験に支配された存在にもしてしまう。この状態では、いわば患者は過去の記憶に支配された状態といえる。第2段階の目的は、これを逆転し、患者自身が記憶を管理する立場に転換することにある。
そのためには、封印されている記憶の蓋を開けなければならない。これがこの段階における「過去の開示」に相当する。
しかし、これは時に危険をともなう作業である。
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を開示しないことによって、患者はなんらかの心的バランスを保っているため、それを操作することによって、収拾がつかないほどに諸症状が噴出する場合もありうるからである。少なくとも、侵入的回想にともなうパニック発作が頻発している状態では、この作業に進むべきではない。たとえば、彼らの安全がとりあえず確保され、集団療法の場に落ち着いて座っていられて、夜はじゅうぶんな睡眠がとれ、少なくとも自室で過ごすことができ、朝は起きて治療空間へ出かけていけるくらいまで、第1段階の回復がなされていなければならない。
過去の記憶に管理されている状態においては、体験を健忘していたり、解離していたり、あるいは記憶を無意識に「症状で語る」ということを、患者はおこなっている。これは体験が患者の主体のもとに統合されていない状態でもある。過去の開示によって、それら散逸していた体験が患者の主体の管理のもとへ統合されていく。
往々にしてこの時期の患者は、積極的な過去の探索に乗り出す。郷里に帰って生家を訪ねたり、幼児期の自分を知っている人々を訪問して自らの過去に客観的な叙述を加えようとしたり、またそうすることによって自分の健忘による空白を埋めようとする。
こうして体験が統合されていくにつれて、
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は自分の外傷の原因、自分を虐待した犯人がわかってきたりして、非常な怒りや憎しみ、あるいはそれによって失われた時間や人生に対しての悲しみを覚えるようになっていく。自己の存在そのものを患者が受け入れられないところまで追い詰められているために、加害者(多くの場合は親)の嘘の仮面をはがそうと躍起になったりする。
しかし、このとき加害者を責めるのは、そのような過去を加害者もすなおに認め、率直に謝り、それによって患者との関係を修復し新たな段階へ進むことを期待しているから、と考えられる。もしそのような気持ちが患者になければ、加害者には見向きもしなくなることもある。
逆に加害者は、はじめからすなおに謝罪して
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と新たな関係を結ぼうとすることはむしろ
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で「そんなことはなかった」「それはお前の記憶違いである」などといったかたちで否認してしまうのがほとんどである。これも、前述したような「「受容のための五段階」によるものである。
現実的には、できるだけ否認をしないで、早く事実を認めて謝ってしまった方が、被害者にも加害者にとっても早期の回復と解決のためには有効である。
第1段階の「
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の認知」すなわち「自分がいろいろな症状に悩まされてきたのは、自分はじつはこういう外傷体験の被害者だったのだ」という自覚を通過したうえで、「それでも私はその修羅場を生き残った」という自覚に患者は到達しなければならない。サヴァイヴァー自己の獲得とは、このような「生き残った私」というアイデンティティの取得である。
第1段階、第2段階を通じて、いっけん患者は元にいたところに戻ってくるかに見えるが、それは正しくない。正確には、ちょうど螺旋階段を登るところを真上から眺めているようなもので、円を描いて元のところに戻るかに見えながらも、じつは上下差があって他の空間へ到っているわけである。
しかしながら、生活環境としては、
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に虐待など行なわれた場所へ戻ることが多いのだから、そこで同じことが繰り返されては、この治療法の意義が根底からなくなってしまう。そのため、元の場所へ戻っても、もはや同じ外傷をくりかえし被ることはないということを確認しなければならない。これが安全感の再確認である。
第1段階では過去を封印していたがゆえに患者の関心は「現在」であった。これが、封印を解くがゆえに、第2段階では患者の関心は「過去」となる。
第3段階においては、「過去」を消化し、自分のなかに統合したうえで「それで、これからどうする」という未来の生活設計が話題になるために、患者の関心はふたたび「現在」になる。しかし明らかに、この「現在」は第1段階における「現在」とは意味も次元も違う。「螺旋階段を登る」比喩はここでもわかりやすいであろう。